書籍・雑誌

マリー・キュリーその2

マリー・キュリー=キュリー夫人の話を「世界の偉人伝」(だったか?)で読みました。
私が覚えているキュリー夫人のエピソードと言うのは…。

①キュリー夫人が小さい頃、姉が父に勉強を教えてもらっている部屋の隅で、それを聞きながら遊んでいたところ、姉よりも早く勉強がわかり、よくできるようになった。で、キュリー夫人は「どうして私のほうがお姉さんよりもよくわかってしまったのかしら」と、泣きました。
↑ちょっと、やなコかも…。

②研究者になったものの、貧しい生活をしていたキュリー夫人。ある寒い夜、夫人は、「ヒトは重さを温かさと錯覚する」と言うことに気がついて、机の下敷きになって寝ました。
↑ほほ、本当ですか…。なんか、コワイ夢見そうです。

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「聖★おにいさん」

「セイント・おにいさん」―これ、最近のイチ押し!! 「モーニング」誌に連載しているんで、TSUTAYAで立ち読みしていました。こないだコミックが出たのでもう一度まとめて読んだら、相変わらず可笑しくて。
事に世紀末を乗り越えたブッタとキリスト。休みを利用して下界におりてきて、東京は立川でアパートをシェアして共同生活をするという話。
なんで立川なのよ、チカラ抜ける。もう、おかしくておかしくて、お風呂の中でも思い出し笑いが止まらなくて…。
絶対お勧めですよ~~!

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さよなら僕の夏

「さよなら僕の夏」(北山克彦訳、晶文社)が出版された。作者のレイ・ブラッドベリは
SF界の抒情詩人、幻想短編の名手と言われる巨人である。
 
 高校生のころ、私はこの作者の「何かが町にやってくる」を、何回熟読したかわからない。ページの端が擦り切れて、たしか同じのを3冊は買ったはずだ。同級生にやはりブラッドベリの大ファンがいて、主人公ふたりになぞらえて私は彼女を「ジム」と、彼女は私を「ウィル」と呼んでいた。今、こう呼びかけると、あの頃の私たちの姿が思い出される。明るい廊下の窓の外に見えた第二京浜国道。放課後の教室で笑っていた友達。なんにでもなれると信じていた、あの頃の、でもまだなんでもなかった私たち。
 
 ブラッドベリの作風と言うのが実はそういう甘酸っぱい、懐古的趣味の横溢したスタイルなのだ。時間は、止まってくれない。いくら願ってもいくら望んでも、時は過ぎていく。形は崩れていく。生きているものは死ぬ。誰もが永遠に子供ではありえない。
 
 ところが本書、「さよなら僕の夏」はその万物の法則に抵抗して、時間に戦いを挑む少年のものがたりである。14歳のダグラスは弟と友人を率いて教育委員会の老人=時間と敵対してチェスの駒を奪い、町の時計を爆破する。彼らに対して老人たちの取った対抗策は…。

 「何かが道をやってくる」と同じ頃に読んだ、ブラッドベリ不滅の名作「たんぽぽのお酒」。本書はその後日譚である。成長と死、無垢や想像力の喪失といったいつものブラッドベリ調は健在だが、本書は著者が86歳の作品だと言う。肉体は老いても尚これだけの瑞々しい感性を持ち続けることの出来る作家と、長い時を経てまた会えた喜びでいっぱいだ。

 すべての「子供だったおとな」に本書を勧めたい。

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